自家製ドレッシングは、振ったら瞬間は混ざる。
うちの実家ではドレッシングは自家製で、いつも振っても振ってもすぐ分離しちゃうやつでした。
味はおいしいけどね。
仕事ってこんな感じだよね。
打ち合わせして、話して、その時は混ざるんだけどまたすぐ分離しちゃう。
やりたいことをそのまま仕事にするのは研究者って感じ。
お客さんがそこにいる以上、お客さんに満足してもらう必要がある。
僕の仕事では、施設がお客であるが、本当のお客さんは利用者さんでその家族で、働いているスタッフで。
それぞれの想いで満足してもらえるようなセッションをする必要があるのは、とーってもわかる。
それが音楽療法としてもしっかり理にかなっていれば申し分なし。
でも、まだ僕にはそのスキルがないようで、音楽療法に固執してしまいがち。
時折音楽療法士でない上司に気付かされてしまう始末。
仕事ってこんなもんだよね。
混ざらないドレッシングなら、振り続ければいいよね。
それなら混ざり続けるし。
様は、納得いくまで動きなさいってことか。
うな
音楽療法の効果って?
「音楽療法って、なんだか精神的にいい効果ありそうだよね!」
ってよく言われるけど、自分でも実際そう思ってる。
でも、具体的にどんな効果がある?と聞かれると、
う~んとなっちゃう。
学校で習ってきた難しいことを話すのは、思い出せば何とか話せる。と思う。
ではなくて、『誰もがわかるように』がなかなか難しい。
というのも、今仕事で外部に向けた高齢者向け音楽療法サービスを展開しよう!と話になっていて、その企画をやっているんだけれど、その時の悩み。
音楽療法をあまり知らない、見たことない『介護事業者』←ここポイント
に伝えることが難しい。
簡単すぎると介護的、医療的観点がなさ過ぎて軽々しいし、難しく話しすぎると、
「はぁ、いいんですねぇ音楽ってやっぱり。」
みたいなリアクション。
違うんだよね、ちがうの。
もっとこう、あるだろ!!
「あーーーー!なるほどねぇ!」みたいなリアクションがもらえる言い方を探ってるんだよね。
ただ最近思うことは、
老人ホームに入所してもらおう!っていう方の家族は、
「ホームに入ってもらって、おばあちゃんが昔みたいにいろいろできるようになってもらいたい!」という向上を求めてるんではなく、
「ホームで安心して変わらずに生活してもらいたいね。」なんじゃないかな?
「おばあちゃん、ホームに行って変わっちゃったね。」
ではなく、
「おばあちゃん、ホームでも変わらずでよかったね。」
がいいのではないかな?
それなら音楽療法でできることって、
『変わらないという変化』
を感じてもらうことじゃないかな?
嫌でも機能が低下していく高齢者が、『変わらない』って大きな変化なんじゃないかな?
営業トークで、「機能が回復しますよ!」なんて療法士としては軽々しく言えない。
でも、「いつまでも変わらずに過ごすことができるお手伝いをしますよ!」なら言えるかな。
サラリーマンたるもの、企業の発展と売り上げの貢献はするべき!
だけど、
音楽療法士としてのココロは忘れないように、仕事したいですね。
そして、それが許される環境で仕事ができる職場であり続けてほしいです。
うな
お誕生日おめでとう
始めまして。
音楽療法士でサラリーマンをしている「うな」と申します。
今日からブログをはじめてみようかなーと思ってさっそく書いてるんですが。
いままでブログとかFacebookとかやってても途中で飽きちゃうんだけど、
今回は毎日少しでもいいから書いていようかなーと。
なんで?
なんだか最近うまくいっていないような感じがしてて、
仕事のことを考えることが多いんだけど、なんだか「音楽療法」って自分が思っていたものを「商品にする」ってすごく難しいんだよなぁ。
そんなことを考えてるうちにいろいろメモしたり自分の考えを纏めているうちに、
だらしない性格がでて途中で嫌になっちゃう・・・。
でも、誰かに見てもらえれば、誰かがこれを見て自分もサラリーマン療法士になりたいなと思ってもらえたらうれしいというかなんというか。
というより、自分の考えを纏めること。それを毎日続けること。そしてそれがいつか見たときになんだかこんな時期あったなーって思えるようにブログをはじめてみようかなーと。
あと、最近部署移異動があって、なんだかみんなの顔をみて働いてるなーって。
音楽療法士としてはいいのかもね。周りの様子を見るのって。
でも一般社会ではあまり良しとされないみたいで、それがなんだか違和感というか。
だからこの場ではだれにも何にもうそをつかないありのままの話を書きたいなーと思って。
だから世界中の何万、何億のブログのさらに片隅の数バイト。シュタインズ・ゲートのDメール位のバイト数をいただければとおもっちょります。
2017年6月7日今日はブログ誕生日だね。
うな